ケミカル・ブラザーズ(Chemical Brothers)

[記事公開日]2014/11/8 [最終更新日]2021/6/21
[編集者]神崎聡

ケミカルブラザーズは(The Chemical Brothers)はイギリスを中心に活躍するダンス・ミュージックユニットです。ビート重視のダンス・ミュージックがチャートを占める中、ダンスミュージックの概念を壊し、ロック・ミュージックと融合させることにより、ビート重視でのダンス・ミュージックでは味合うことのできない、ロックならではの臨場感を味合うことのできる新しいダンス・ミュージックを構築しました。
その革新的な音楽性により、その後出てきた様々なグループに多大なる影響を与えています。

また様々なアーティストとのコラボレーションやリミックスを手がけるなど、精力的に活動しています。そしてライブパフォーマンスも彼らの魅力のうちの一つです。爆音で奏でられる音楽と光やスモークなどで緻密に練られたライブパフォーマンスは一度見たら決して忘れることはできないことでしょう。また日本でもSonyやLevi’sのCM曲を手がけたり、フジロックフェスティバルのヘッドライナーを務めるなどの活躍をしています。

BioGraphy

ダスト・ブラザーズとしての活動

1989年にマンチェスター大学で歴史学を専攻していたトム・ローランズ とエド・シモンズ の二人によって結成され、1992年にダスト・ブラザーズ名義で主にリミックスを中心に活動を開始しました。1980年代の終わり、アシッド・ハウスがマンチェスターを中心として大きなブームになろうとしていた頃でした。
二人は、昼間はレコード店で、夜は彼らのアイドルだったニューオーダーが経営するクラブ「ハシエンダ」に入り浸るようになっていました。DJとして「ハシエンダ」で活躍するようになると、その中で独自のビートを編み出し、次第に彼らの名前が広がっていきました。
彼らが「ダスト・ブラザーズ」の名前で自主制作によるプロモ盤「ソング・トゥ・ザ・サイレン」をインディーズレーベル「イースタン・ブロック・レコード」から1992年に発表します。その後「ネイキッド・アンダー・レザー」というパーティで行ったDJを通じて、アンドリュー・ウェザオール(イギリスの大人気DJの一人)がこの曲を気に入り、「ジュニア・ボーイズ・オウン」と契約し、「セイバーズ・オブ・パラダイス」名義でリミックスも手がけました。

1994年の春には、彼らの2枚目のEP「フォーティーンス・センチュリー・スカイ」とそのリード・トラック「ケミカル・ビーツ」が話題になる、彼ら音楽のジャンルが「ビック・ビート」や「デジタル・ロック」と呼ばれる前までは「ケミカル・ビーツ」と呼ばれていました。この曲のヒットをきっかけにプライマル・スクリームやシャーラタンズなど、数多くのバンドのリミックスを手がけ、一躍人気リミキサーの仲間入りとなります。そして伝説のパーティである「ザ・ヘブンリー・サンデー・ソーシャル」でDJをし、ここの常連客だったティム・バージェス(シャーラタンズのメンバー)、ベスオートン(イギリス出身のシンガーソングライター)の協力を経て初のアルバム制作へととりかかることになります。
しかしこの頃アメリカに本家のダスト・ブラザーズが存在し、彼らからクレームを付けられたため、正式にケミカル・ブラザースに改名します。

ケミカル・ブラザースとして

90年代も中盤に差し掛かると、「ビック・ビート」は急激な成長を始め、遂にはポップチャートを浸食し始めます。当時のロックシーンが飽和状態になる中、リスナーが求めていた高揚感や躍動感を持った「ビック・ビート」が最高のタイミングで登場そして脚光を浴びることとなります。
そんな中1997年に彼らの躍進を決定付ける出来事が起こります。それはケミカル・ブラザーズの「ディグ・ユア・オウン・ホール」、そして当時共にダンスミュージック・シーンを沸かせていたプロディジーの「ザ・ファット・オブ・ザ・ランド」が当時のUKチャートで一位を獲得さらにUSチャートでもケミカル・ブラザーズは12位そしてプロディジーは1位を獲得するなどの偉業を成し遂げました。この時、ダンス・ミュージックがロック・ミュージックに勝利し、さらにその音楽性を融合させたのです。彼らの躍進は当時の音楽シーンを変えた決定的な出来事なのです。
そして彼らの目覚ましい活躍は今もなお継続しています。

サウンドの特徴

ケミカル・ブラザーズのサウンドは、ブレイク・ビーツ(サンプラーや波形編集ソフトなどを使用してドラム演奏のフレーズを分解し、シーケンサーで組み立て直す音楽制作の方法)を基調としていて、そこにロック・ミュージック(ギターや生ドラムによる音)や民族的なフレーズなどを融合した独特のサウンドを構築しています。
当時のダンス・ミュージックはまだロックとの融合や別ジャンルを合わせるサウンドは少なかったため、彼らの独特の音楽性は瞬く間に注目を集めました。元々リミックス専門のDJだったこともあり、曲によって全く雰囲気が違ったりしていますが、彼らの頭の中を通すと統一性を持った音楽へと変貌を遂げていきます。
それぞれの音楽の特徴を掴み、自らの色に染めていくことのできるセンスを持つ彼らだからこそ、個性的なアーティストをゲストボーカルに迎えたとしてもケミカル・ブラザーズという色を失わずに済んでいるのです。

使用機材

彼らが主にDawソフト「Cubase」、プロペラヘッド社製のプラグインであるRebirthやRecycleなどを用いてダンス・ミュージック特有のノリの良い楽曲を制作しています。
中でも彼らの音楽の中核を担っているブレイク・ビーツはAKAI MPC 3000によって生み出されています。この名器は数々のヒップホップ、リズム・アンド・ブルース等のアーティストから評価を受けており、楽曲の中での存在感、そして迫力のあるビートを構築することができます。

その他にも様々なサンプラーを使いこなし、独特のビートを作っています。楽曲のアクセントになっている攻撃的なシンセサイザーのサウンドはアープ社製のARP 2600やクラビア社製のNord Modularなどを使用して作られています。

アルバム

イグジット・プラネット・ダスト(Exit Planet Dust)

ケミカル・ブラザーズ初期のアルバムの一つです。今の彼らのサウンドとは違い、とてもシンプルなテクノ・サウンドを味合うことが出来ます。ケミカル・ブラザーズのファンならば彼らの初期の名盤を避けて通ることはできません。ちなみに「イグジット・プラネット・ダスト」という題名は彼らの前の名義であるダスト・ブラザーズとの決別を意味しているとも言われています。
1995年リリース

ディグ・ユア・オウン・ホール(Dig Your Own Hole)

Dig Your Own Hole

このアルバムは彼らの存在を音楽業界に位置づけた、名盤になります。前述したビック・ビートを明確に音楽として表現したアルバムになっていて、ロック・ミュージックとダンス・ミュージックの架け橋とも言われています。さらにはオアシスのノエル・ギャラガーとの共作、「セッティング・サン」も収録されており、ロック・ミュージックのファンも楽しめるアルバムになっています。
1997年リリース

サレンダー(Surrender)

前作の「ディグ・ユア・オウン・ホール」から2年、前作とは違いロック・ミュージック寄りのサウンドが今作では展開されています。荒削りのようでしっかりと構成されているサウンドは、ロック・ミュージック、ダンス・ミュージック、両方のファンを取り込むほど魅力に溢れています。
1999年リリース

カム・ウィズ・アス(Come with Us)

このアルバムは彼らが作り出した「ビック・ビート」の完成形と呼ばれています。圧倒されるほどのビートの波が、あなたのスピーカーやイヤホンから溢れ出してきます。またサイケデリック色も強いのが本作の特徴でもあり、民族的なパーカッションなどが使われています。そして名曲として知られている「スター・ギター」もこのアルバムに収録されています。
2002年リリース

プッシュ・ザ・ボタン(Push the Button)

このアルバムでは前作に引き続きサイケデリック色や民族色が強くなったアルバムとなっています。最初にこのアルバムを聞くと今までとは違う方向性に驚くかもしれませんが、聞いているうちにその違和感が心地よくなっていく一枚でもあります。ある意味では彼らの実験的なアルバムになっています。Q-Tipをゲストに迎えた1曲目「Galvanize」は必聴。
2005年リリース

ウィー・アー・ザ・ナイト(We Are the Night)

このアルバムはこれまでの彼らのサウンドとは違い、浮遊感や陶酔感を味合わせてくれるアルバムになっています。今までの攻撃的なサウンドではなく彼らの新たな一面を見ることのできるアルバムになっています。
2007年リリース

ファーザー(Further)

現時点での彼らの最新のアルバムです。「ディグ・ユア・オウン・ホール」に継ぐ名盤と呼ばれています。アルバム全体を通して美しいサウンドで構成されていて、まるで宇宙にいるような感覚に導いてくれます。キラキラとしたシンプルなテクノ・サウンドは彼らでしか表現できない境地に到達しています。
2010年リリース

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